マンネリ化を招く「2つ」の欠けた要素

日記

私はクリエイター側の人間でもあり、消費者でもあります。自分で何か新しいことが出来ないか常に考えているのと同時に、好きな趣味の世界で新しいものが生み出されないか、楽しいことが起きないかアンテナを立てています。そんな中で様々な情報を集めながらなんとなくですが「多分マンネリや失敗作ってこれが原因だな」て思ったので、備忘録ながら書き記しておきます。

先に断っておきますが、この記事は半分愚痴でもあります。引用する信頼性のあるデータ等はないので信じるかどうかはご自由に。

模倣+αのハードルは市場が成熟するほど高くなる

出来上がっている市場で何か勝負を仕掛けようと思った時、100%天然で新しいものをいきなり突っ込むほどリスクを背負おうとするところは少ないです。大抵はその時市場で受け入れられているものをベースにした上で、独自の要素を加えてオリジナリティを出そうとします。しかし、市場が成熟してしまっていると、それすらも殆どが二番煎じとなってしまい、「プラスアルファ」自体が溢れた状態なわけで、勝ち得るのは体力があるところや、元々強い信頼性やIPを持っているところに限られてきます、俗に言われる「市場のレッドオーシャン化」です。フットワークの軽いベンチャーや中小がアイデア勝負で勝ち、エポックメイキングの座を得ることができても、早々に次の手を打たないと、大手後出しの体力バカの模倣作品に食われてしまうことも少なくないわけです。

ただ、そこまで行き着くとユーザーサイドはちょっと飽きているんですよね。どこを見ても似たようなモノばかり、外っ面はみんな違っても中身は似たようなモノにちょっとアクセントが加わったもの。新鮮味が無くなるわけで、その「中身」自体に強力な親和性を持ったユーザー以外は離れてしまい、人口衰退期に入ります。私はゲームが好きなのでそれで例えますが、大型MMOのWoWに右倣えのクエスト&インスタンスゲーだったり、海外AAA作品の「とりあえずオープンワールドやっとけ」にはうんざりするわけです。

ここ数年の流れでいくと「PUBGを筆頭にバトロワゲームが流行る→模倣+αのゲームが数多に生まれる→その内優れたタイトルや体力の多い会社のタイトルが生き残る」と来ていますね。そして少し前から現在の流れは「出遅れたところがアイデアを加味してバトロワゲームをリリースするが、ユーザーがいまいち根付かない、どう戦おうか」というところじゃないでしょうか。

メーカーは気づいていないわけじゃない

ユーザーはむちゃくちゃ文句を言うわけですが、開発者もメーカーも大体気付いているんですよね。じゃあなんで改善しないの?て思うわけですが、「走り出したらゴールするまで止まれない」と言うのが物作りなのです、ゲームだけの話ではありません。開発にお金がかかり、時間がかかり、人を雇い、規模が大きくなるほど「やり直し」や「中止」の損害が莫大になるのでわかっていても止めることができない。

流行りものは株と一緒です、「耳にする(目にする)タイミングになったらもう遅い」という事。つまり「バトロワゲームが流行ったぞ!じゃあうちでも作ろう!」というスタートをした時点でアウト、完成する頃には市場は一部の勝ち組に掌握されているわけで、ユーザーはそう簡単には動きません。一部のヘビーユーザーは物は試しと触れてみるわけですが、相当優れた、何か優秀な要素を持たない限りは戻っていくわけです。人口が多い方がいい、とか、大手の方がサポートが安定している、とか理由は様々でしょうが。後出しが超大手だったらまた話は別ですけどね。

ビジネスの目線は常に先を見ることが基本なのですが、どのくらい先を見るべきかというと「次に何が流行るのか」というところ、もっと言えば「今は○○がきているから…次は自分たちで××が流行られるのではないか」ぐらい考えなければいけないのかもしれません。物事の流行り廃りや技術の進化を考えると5年ぐらいが1つのスパンでしょうか。つまり最低でも5年先の自分の業界をリアルにイメージできないとダメなわけです。

きっとみんなイメージしている、だけど…

曲がりなりにもずっとやって来た人ならそんなことは百も承知で、先を考えてトライしたいわけです。それを許さない環境はなんなのか、それができない理由はなんなのか、非常にわかりやすいことで「余裕がない」からですね。この「余裕」は、1番にはやっぱりお金、次に精神面や体力面でしょうか。なんでもそうです、新しいことにチャレンジするには余裕が必要です。優れたベンチャーや中小がアイデア勝負でスマッシュヒットを生み出した時、その売り上げがピークで一番多い時に次のチャレンジを行います、一番余裕がある時だからです。

リスクヘッジは必ず取らなければいけません、新しいことを始める、というのは自身の未来予測が当たらなければ損失が出る可能性が高いわけで、(マーケティングや傾向からある程度判断を絞りますが)結局はギャンブルです。お金が潤沢にある時期であれば、失敗のリスクをそこで賄えますからね。

業界にもよると思いますが、目新しいものが無くなってきた、模倣が増えてきた、とユーザーが感じるなら、その業界は全体的に余裕が無くなっているというサインなのだと思います。昨今、量産型MMOやソシャゲが生まれては消えていく中で、新しいIPが出来てもそれが新機軸のモノではなく、なお同じ轍を踏むのは既に余裕がないのでしょう。先を見る力がなかったか、開発が遅れて舵取りを変えたか、最初から使い捨てのつもりで予算を組んで作ったか、どれかはわかりませんけどね。

ちなみに規格外に強いIPは例外

後出し模倣や成熟した市場でもIPが強いと全部ひっくり返します、いや、ひっくり返すとまではいかなくても、固定ファンや安心感等の理由で一定の地位を築くことが出来ますから。

保守、安定派が権利を持ちやすい会社の構造

話を変えましょう。これは私自身が仕事で経験した事です。以前とある広告の依頼を受けました。担当の方には「奇抜で目を引くもの、個性が強いもの」とお願いされ、私もその業界の広告スタイルからは多少逸脱したタイプのモノを作りました。

担当の方には「これ、凄い良いですね!面白い!」と喜んで頂き、それを持って社内の審議を通そうとしましたが、上層部が首を縦に振らずリテイクとなりました。改めて新しい発注内容で作ったモノは、その業界ではよく見るスタイルの、極々平凡な広告となったわけです。一応直していく過程で「少しぐらい尖らせましょう」と担当の方と話をしながら進めていましたが、尖った部分は全部不採用となりました。上層部は決してデザインに不服に思ったわけではなく「慣習から逸脱したものにどれだけ反響があるか予想ができないから」ということでNGを出した、と担当の方から聞いています(ただのフォローだったのかもしれませんがね)。

結果が20点か80点になるものではなく、50点〜60点を安定して出せるものが選ばれたわけです。もしかしたら担当の方のプレゼン能力が低かったのかもしれませんし、本当はデザインがダメだったのかもしれません、その辺りは外注先である私にはわかりません。ただ言えることとして、会社はでかくなるほど上に立つ人間は保守、安定志向が強くなります。まぁ当たり前の話で、ギャンブルより地道な積み重ねの方が着実に結果が出ますし、結果が出るということは出世はしやすいですよね。

ただ、私から言わせれば、その部下の「業界の慣習から抜け出して一発当てたい」という意志を汲み取り「ではこの広告をどう使えば(あるいはどうブラッシュアップすれば)80点の結果を出せる方に近づけるのか」と考え指示を出す、あるいは一緒に考える、それが出来なくても「責任は上が取るから好きにやってみなさい」と背中を押してあげるのが上層部の役目だったのではないかな、とも思います。

(ちなみにこのクライアントさんは今でも付き合いがあるので、詳細はできるだけ伏せたい)

まとめよう

タイトルに「2つ」と書きましたが、この記事にその2つがありますね。

  1. 様々な「余裕」が無いと、チャレンジすることも先を予測することもできない
  2. 意見を吸い上げ、それをうまく実現できる方向へ舵を切れる偉い人が少ない

新しいものはみんな怖いですし、警戒します。作る方も享受する方も。ただ、そこを切り開けない業界(企業)は衰退していくだけです。

「ゼルダの伝説 Breath of the Wild」の開発秘話を読もう

さてさて、最後なのですが、CEDEC2017の任天堂の講演はぜひ一聴(一読)有り、と伝えておきます、目から鱗ですよ、ゲームに関わらず全ての業界の人が見るべきです。

主に開発フローに関する講演なのですが、ざっくりと書き出します。

  1. 開発に関わっている人たち全員が情報や進行度を共有化しやすい「横」のフローを構築したこと
  2. アイデアを出しやすく、またそれを吸い上げやすい現場環境を作ったこと
  3. 全員でテストプレイし、バグの洗い出しやユーザー目線でレベルデザインの確認を行ったこと
  4. 責任者(ディレクター等)がそれを生み出せる俯瞰視点を持っていたこと

わかると思いますが、この記事で書いた「新しいものを生み出すために必要な2つのこと」をクリアしているのです。しかも極めて理想論に近いレベルの合理的なやり方で。結果、生まれたゲームは海外市場では既に成熟していた「オープンワールド系」のゲームでありながら、新しく、そのジャンルを1つ上の段階に押し上げることになりました。

「当たり前」が「当たり前じゃないこと」って沢山あるよね

ゼルダBotWの開発手法は、1つ1つは特に目新しくありません。それこそ日常生活に置ける「近所の人と顔を合わせたら挨拶をする」とか「朝は必ず歯を磨く」とか「毎日30分は運動をして汗を流す」とか、所謂「(自分に対しても他者に対しても)当たり前に出来ていて欲しいな、出来ていたら嬉しいな」て思うことを恐ろしく沢山積み重ねた上の結果なわけです。

ユーザーが受け取る不信感、マンネリ感、閉塞感、色々とありますが、業界や商品になんらかの不平や不満が生じる時は、そこに置いて「出来ていることが当たり前」が成されていないのでしょう。でも、その「当たり前の達成が難しい」という、本来の当然であるべきことが理想論になってしまうほど「余裕」がなかったり、俯瞰視点を持つ指導者が欠けているのかな、と、漠然と思った次第です。